シニアライフを過ごす上で、ピッタリと思った表現とは?

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みなさん、こんにちは!「家族信託」や「遺言書」など生前の相続対策に特化した取組を行うディアパートナー行政書士事務所です。

シニアこそ「人生の思い出づくり」を積極的に行っていくべきだと折に触れ、何度かブログ投稿させていただいていますが、今回は、シニアライフを過ごしていく上の心構えで「ピッタリな表現」だと私が思った表現を紹介していきます。

握り寿司、好きなお寿司から先に食べますか?

私が「ピッタリな表現」だと感心したのは、「定年1年目の教科書」の著書で知られている髙橋伸典さんのメルマガで使われていた表現でした。

髙橋さんは「セカンドキャリアコンサルタント・モチベーション総合研究所代表」・「東京定年男女の会主宰」でもあります。

高橋さんはそのメルマガのなかで、以下のように書いています。

「皆さんは、目の前にお寿司の盛り合わせがあるとしたら、好物の握りは先に食べますか?」、「それとも一番後に食べますか?」

一番に好きなものから食べる人、美味しいものは最後の楽しみにして食べる人。どちらが良い、悪いとの問題でなく好みですよね。

しかし美味しいものを最後に食べるつもりで、いざ食べるときになり、お腹がある程度満たされていて食べる勢いも失せて残念な思いをした経験はありませんか?

そんな時は、「ああ、こんな事なら最初に食べておいた方がよかった」と思うことがあります。

同じことがシニアの生活に言えるのではないかと思うのです。

私はお寿司で言えば楽しみは後に置いておくタイプでした。自分のやりたいことも、いまは我慢してもっと頑張ってから始めようとか、行きたいところも少し余裕が出来てから行こう、とかです。

そうすると最初の思いも失せてきて、段々やらなくなったり、行かなくなったりするのです。そのうち自分が何をやりたいのか、どこに行きたいのか、わからなくなってきて、意識から遠ざかってしまうことが起きていました。
やりたい時にやらなかったからですよね。

また今の時代はSNSが広がって、自分以外の世界がいとも簡単に見ることができるようになりました。皆、競って自分が経験したことをシェアします。インスタ映えなどはその象徴ですよね。みると羨ましくなったり、自分もやってみようと思ったり、やりたいすそ野が広くなると同時に、本当にやりたいことが何かわからなくなってしまい、自分を見失っているとも言えるでしょう。

時間には限りがあります。人に惑わされず、本当に大切な事、本当に楽しめることに時間をあてる、その為にはやるべきことがあるのです。

自分にとって大切なことに集中するべき

いろいろな情報に惑わされる原因は、実は自分は何が欲しいのか、何がやりたいのかはハッキリさせていないからではないでしょうか。

情報過多でいつでも情報にアクセスできる時代だからこそ、自分がしたい事、欲しいものを日頃からハッキリさせておくことが必要です。

「最高の人生の見つけ方」というタイトルのアメリカ映画があります。
余命を宣告された主人公が「自分がやりたい事」を書き出し、それを実行していくストーリーです。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが好演しました。

やりたいことを書いたメモを「バケット・リスト」とよんでます。

今まで自分のやりたいことを封印してきた主人公。余命僅かなので真剣です。やりたいことをリストに書き、それに従い実行する。すると今までの人生と違って次第に楽しくなり充実した日々を送るようになります。

私の友人も「自分が行きたいところリスト」を作って、時間をみつけて訪れています。幸せそうです。見ていてこちらが刺激を受けます。

私も同じようにやってみました。そこで気付いたことがあります。

紙に書き出していくうちに、自分がやりたいことが次第に明確になってくるのです。
「これは書いたけど本当はそうでもないな」
「これは忘れかけていたけど、本当にやりたいことだった」

また芋づる式に出てくることもあります。
「ここに行ったから、次はここに行ってみよう」
「行ってみて、そこで紹介された」

こうして自分がやりたいことをハッキリさせながら実行していくと、本当に好きなこと、行きたいとこ、本当に会いたい人、など自分の考えが次第にハッキリしてきて自分軸ができてくる、そのような感覚を持てるようになってきました。

皆さんも、行きたいこと、好きなことを書きだしながら、惑わされない自分軸をさらに強くされてはいかがでしょうか?

ここまでが高橋さんのブログに書かれていた文章です。

楽しみを後に残しておくことからの卒業

私は公務員を2年前に定年退職し、独立して行政書士事務所などを開業しています。したがって年齢は現在62歳です。

還暦を過ぎて特に感じることは、「あまり食べられなくなった」ことと「酒に弱くなった」ことです。そのほかにも「無理がきかなくなった」とか「体力が落ちた」ことも感じますが、人生の楽しみでもある「食」関係のふがいなさを最近とくに感じるところです。

若いころであれば、美味しいものを最後に食べてもあまり残念な思いをしたことはありませんでした。どちらかというと「質より量」といった感じでした。

しかし、最近は還暦を過ぎて「量より質」に変わってきました。一緒に出されたお料理は「自分が好きなもの」から食べるように心がけています。

お酒にしてもしかり。若いころであれば価格を気にして「質よりも量」でしたが、最近は「良いお酒をチョコっと嗜む」というスタンスになってきました。年のせいか酒に弱くなり、以前は平気だった酒量でもかなり酔うようになってきました。

「食」を例に説明しましたが、体験や旅行などでも同様のことが言えるのではないでしょうか。高橋さんもブログで述べていらっしゃいますが、「自分のやりたいことも、いまは我慢してもっと頑張ってから始めよう」とか、「行きたいところも少し余裕が出来てから行こう」とかという発想をシニアになっても持ちがちです。

しかし加齢によって、自身の体力や能力が低下したことで、体験したり旅行したりすることが難しくなる場合が多いのではないでしょうか。

例えば、昔から北アルプスの槍ヶ岳に登ってみたいと思っていたとします。若いころは仕事やら子育てやらで忙しくて登ることができませんでした。いざ、槍ヶ岳に登ろうとした時、体力の低下などから登ることをあきらめなければならない事態が発生するかもしれません。

こうした事態にならないためにも、できる時には多少無理をしてでも実行する心構えを持ちたいものです。シニアになってからは、まずは「人生の思い出づくり」を最優先にしてもよいのではないでしょうか。親の介護などが発生して「最優先」とまではいかなくても「優先順位の上位」に位置付けることが必要かもしれません。

お金を残すよりも人生の思い出づくりを!

還暦を過ぎて私がとくに感じることは、老後資金の心配をするあまり、シニアになっても貯蓄・倹約に励み、自分がしたかった体験や旅行を先延ばしにするのは馬鹿らしいということです。

人それぞれの考え方がありますので強くはオススメできませんが、貯蓄・倹約に励んだことによって「相続時の遺産が多くなる」だけの話であれば、自分がしたかった体験や旅行などに使って人生を全うした方が良いのではないかと最近特に思うのです。

それこそが「シニアの心構え」「シニアの生活」と言えるのではないでしょうか。しかし「自分の人生の最期がいつか」は誰にも分かりませんので、老後資金の不安からどうしても貯蓄に走りたくなります。私も元来の貧乏性ですから不安は多少あります。

元気なシニア時代には体験や旅行などにお金を使いますが、健康寿命を過ぎた辺りからは「体験や旅行」などの支出は減り、「医療や介護」などの支出が増えてくることになるのでしょう。

医療費や介護費などを捻出できるマネージメントは必要ですが、必要以上にお金を残すのは考え物です。バランスは大事ですが、シニアで元気なうちは「今生の思い出づくり」に重きを置いて活動することが必要かもしれません。

少なくとも私は勇気を出して「今生の思い出づくりに挑戦」してみたいと思いますし、現在も実践しています。

でも生前の相続対策は必要です!

人がいつ死ぬかはわからないものですが、その時はいずれ必ずやってきます。その時のためには、やはり生前の相続対策は必須となります。少なくとも遺言書を残すというのは、どなたにも必要なことと考えています。

ディアパートナー行政書士事務所では、家族信託に限らず、遺言書作成や任意後見契約など生前の相続対策のご相談を承っておりますので、相続対策全般についてお気軽にご相談ください。

ご自宅への訪問やサザンガク(下のチラシを参照)でも面談に対応しています。また、土曜日・日曜日、時間外の対応も行いますのでお気軽にお問い合わせ下さい。

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